魔王領運営ゲームの白冠教会と偽聖印を考える|信仰と違和感の制作記その6

魔王領運営ゲームの白冠教会と偽聖印を考える|信仰と違和感の制作記その6

前回は、魔王領運営ゲームの30日後分岐について整理した。

初期遠征で何を拾ったか。
初回襲撃で何を守れたか。
財宝を集めたのか、防衛を固めたのか、捕虜や保護対象を抱えたのか。

そういった序盤の積み重ねを見て、側近のクロイルが「今の魔王領はどの方向へ進みやすいか」を提示する。

今回はその中でも、廃村や教会調査ルートに関わってくる白冠教会と偽聖印について整理していく。

ここは、設定としてはかなり重要。

ただし、ゲーム内では最初から全部を明かしたくない部分でもある。

序盤では、ただの「聖印らしきもの」や「教会の痕跡」として出す。

でも、フォムが妙な反応をする。

魔物に効いているようにも見える。

村の状態もどこかおかしい。

そこから少しずつ、「これは本当に聖印なのか?」という違和感が積み上がっていく。

そういう形にしたいと思っている。

白冠教会は最初から悪の教会にはしない

まず決めたかったのは、白冠教会を単純な悪の組織にしないこと。

魔王ものだと、教会や勇者側は敵として描きやすい。

もちろん、今回のゲームでも白冠教会は主人公たちと対立する大きな勢力になる。

でも、最初から「教会は全部悪です」としてしまうと、世界感がテンプレ臭くなる。

だから白冠教会は、もともとは救済や互助を目的にした組織として考えた。

最初にあったのは、白手会という互助組織に近いもの。

傷には手を当てる。
倒れた者には手を貸す。
迷う者には手を引く。
死者には手向ける。
争いの場では、まず手を開く。

こうした考え方が、長い時間をかけて宗教化していった。
人々の救済概念が「白き手」として神格化され、やがて白冠教会になっていく。

この流れにすると、教会の中にも本当に人を助けたい人がいる。

下級教会員の中には、善意で動いている者もいる。

一方で、その善意を利用する上層部や、歪んだ運用もある。

その方が、ゲームとしても物語としても面白くなると思った。

本物の聖印は「開いた手」

白冠教会の本物の聖印は、「開いた手」を基本にした。

開いた手のひら。
掌の中央に、白い冠や白い輪のような印。

指は開いている。
手首は縛られていない。

意味としては、触れるが掴まない、支えるが縛らない、導くが引きずらない

この考え方はかなり気に入っている。

本物の聖印は、相手を支配するためのものではない。

傷ついたものに手を当てる。
倒れたものに手を貸す。
迷ったものを導く。

でも、相手の自由を奪わない。
ここが本来の白冠教会の美しさになる。

つまり、本物の信仰そのものは悪ではない。
むしろ、ちゃんと救済として機能していた時代がある。

だからこそ、その反転として偽聖印が出てきた時に気持ち悪さが出る。

偽聖印は本物に似ているが、意味が逆

偽聖印は、本物の聖印と似ている。

でも、よく見ると少し違う。

本物が開いた手なら、偽物は閉じかけた手。
本物が掌で支える印なら、偽物は指先が強調されている。

本物の白冠は救済の象徴なのに、偽物では手首を締める輪のようにも見える。

開いた手ではなく、掴む手。
支える手ではなく、縛る手。
導く手ではなく、引きずる手。

そういう反転にしたい。

ここは、見た目の違いだけではなく、思想の違いとして作る。

本物の聖印は、弱ったものを支える。
偽聖印は、弱ったものを利用する。
本物の聖印は、悪意や呪いを鎮める方向。

偽聖印は、表向きには似た効果に見えても、実際には別の作用をしている。

ただし、記事ではここを明かしすぎない方がいい。

ゲーム内でも、序盤から「これは偽物です」とは言わない。

最初は、本物か偽物か分からない。

でも、何か変。

そういう違和感として出したい。

外から見ると、どちらも魔物が弱っているように見える

偽聖印を作るうえで面白いと思ったのは、外から見ると本物と偽物の区別がつきにくいところ。

本物の聖印も、魔物に対して何らかの影響を与える。
偽聖印も、魔物を弱らせているように見える。

だから、下級教会員や一般人から見ると、どちらも「聖印が効いている」と思いやすい。

ここがかなり厄介。

悪意を持って偽物を使っている者だけではなく、偽物を本物だと思い込んで使っている者もいる。

その人たちは、自分が悪いことをしているとは思っていない。
むしろ、魔物を抑え、人々を守っているつもりでいる。

でも実際には、その場に別の悪影響が出ている。
この構造にすると、白冠教会の中にも層ができる。

  • 本当に何も知らない下級教会員
  • 違和感には気づいているが、口に出せない者
  • 偽聖印を流通させている者
  • 本物の聖印を意図的に止めている者

教会全体を一枚岩にしない方が、後で設定として使いやすくなる。

廃村に偽聖印の違和感を置く

偽聖印の最初の入口は、廃村がよさそうだと思っている。

その3でも書いたように、廃村は完全な無人の村ではない。
行政記録上は廃村になっているけれど、実際には隠れて生きている者、逃げ込んだ者、動けなくなった者がいる。

そこに、教会の痕跡や聖印らしきものが残っている。

普通に考えれば、教会が村を助けようとした跡に見える。

でも、よく見ると村の状態がおかしい。
人々が助かっているようで、どこか弱っている。

互いに疑っている。

魔物だけでなく、人間側にも妙な不調が出ている。

そして、フォムがその聖印らしきものに変な反応をする。

ここでプレイヤーに、「これは単に魔物だから聖印が苦手なのか? それとも別の理由があるのか?」と思わせたい。

答えはすぐ出さない。
廃村では違和感だけを置く。

そこから白冠教会や偽聖印の話へ少しずつ進んでいく形がいい。

フォムは何に反応しているのか

フォムは、お供の小型スライム。
ただのマスコットではなく、主人公の母親に関わる何かを抱えている存在として考えている。

フォムは、裏切りや悪意に敏感。

ただし、万能ではない。
本人に悪意がない善意の破壊や、狂信者の本気の善意、ポンコツな失敗には反応しにくい。

だからこそ、フォムが偽聖印に反応することには意味がある。

それは単に「聖なるものが苦手」という反応ではない。

もっと嫌なものに反応している。

でも序盤では、そこまで説明しない。
プレイヤーから見ると、フォムが聖印に怯えたように見える。

すると、「スライムだから聖印が苦手なのかな」と思う。

でも後から、本物の聖印には違う反応をする場面が出てくる。

そこで、序盤の違和感が反転する。

この流れでプレイヤーが違和感を感じ、考察できるようにしたい。

下級教会員を全員悪人にしない

白冠教会を考えるうえで、下級教会員の扱いも大事。

全員を悪人にすると、話が単純になる。
でも、全員を善人にしてしまうと、教会の闇が薄くなる。

だから、下級教会員の多くは、本当に人を助けたいと思っている方向にしたい。

彼らは、白冠教会の教えを信じている。

傷ついた人を助けたい。
魔物から村を守りたい。
困っている人に手を貸したい。

その気持ち自体は本物。

でも、与えられた聖印や教義の一部が歪んでいる。
上から渡されたものを本物だと思い込み、善意で使ってしまう。

ここが怖いところ。

本人は善意で動いているのに、結果として誰かを傷つけている。
この構造は、フォムの悪意感知とも相性がいい。

悪意がないから、フォムもすべてを見抜けるわけではない。
でも、偽聖印そのものには何かを感じ取る。

このズレが、序盤の不気味さになる。

本物の聖印があるから偽物が怖い

偽聖印を怖くするには、本物の聖印がちゃんと存在している必要がある。

本物の聖印が最初から嘘なら、偽聖印もただの悪い道具で終わってしまう。

でも、本物の聖印がちゃんと救済として機能するなら、話は変わる。

本物は、人を助ける。
本物は、傷を癒やす。
本物は、悪感情や呪いを鎮める。

だからこそ、それに似せて作られた偽物が気持ち悪い。

救済の形をしているのに、実際には縛っている。

支える手に見えるのに、掴んでいる。

導きに見えるのに、逃げ道を塞いでいる。

この反転があると、白冠教会の設定に厚みが出る。
「教会は悪い」ではなく、「本来あった救済が、どこかで反転してしまった」という構造にできる。

ここを明示せずに設定には盛り込みたい。

ゲームとしては、違和感を先に置く

設定資料としては、白冠教会や偽聖印の構造はかなり整理できてきた。

でも、ゲーム内で最初から全部を説明する必要はない。
むしろ、最初は違和感だけでいい。

  • 廃村に聖印らしきものがある
  • フォムが変な反応をする
  • 村人の様子がおかしい
  • 下級教会員は本気で善意に見える
  • でも、何かが噛み合っていない

このくらいの見せ方がいい。

プレイヤーが最初から真相を知っているより、少しずつ気づいていく方が面白い。

制作記では設定の一部を出しているけれど、ゲーム内では徐々に段階的に見せていきたい。

特に偽聖印については、「これは偽物です」と表示するより、フォムの反応、村の状態、教会員の言動、本物の聖印との違いを違和感として出していくことで気づかせたい。

その方が、後から反転した時に気持ちいい。

教会ルートは序盤から中盤への橋になる

白冠教会と偽聖印は、序盤から中盤への橋になりそう。

最初は廃村の小さな違和感。
次に、偽聖印らしきものの調査。

それから、教会関係者との接触。
さらに、本物の聖印との違い。

下級教会員の善意と、上層部の思惑。
勇者制度や王国との関係。

こういうふうに、少しずつ広げられる。
いきなり教会本部や勇者を出す必要はない。

最初は、廃村に残された小さな印と、フォムの反応だけでいい。

そこから「人間側にも何かおかしいことが起きている」と分かっていく。
魔王領側の巣作りと、人間側の制度の歪みがつながる。

この接続ができると、ただの拠点運営ゲームではなく、世界全体の構造にも触れられるゲームになってくる。

ここまでで見えてきたこと

白冠教会と偽聖印を整理したことで、このゲームの敵味方の見え方が少し深くなった。

魔王だから悪で、教会だから善。

そういう単純な構図にはしない。

魔王領側にも危うさはある。
捕虜をどう扱うか、財宝をどう守るか、魔物をどう育てるかで、かなり危ない方向にも進める。

一方で、教会側にも善意はある。

でも、その善意が歪んだ道具や制度に乗せられると、誰かを傷つけることがある。

単に「悪の教会を倒す」のではなく、本物の救済と偽物の救済を見分けていく。

その過程で、主人公の魔王領が何を受け入れ、何を拒むのかも見えてくる。

次にやること

次は、捕虜や保護対象、再契約まわりを整理したい。

魔王領運営ゲームなので、捕虜はかなり重要な要素になる。
でも、ただ捕まえて働かせるだけにすると、かなり単調になる。

捕虜。
保護対象。
雇用者。
再契約した元敵。

このあたりをどう分けるか。

魔王領としての怖さと、主人公なりのやり方をどう両立させるか。
そこを整理できると、魔王領の内側が見えてきそう。

まとめ

今回は、AIと一緒に企画している魔王領運営ゲームの制作記録その6として、白冠教会と偽聖印について整理した。

白冠教会は、最初から単純な悪の教会にはしない。
もともとは救済や互助の考え方から生まれた組織として作る。

本物の聖印は、開いた手。
触れるが掴まない。
支えるが縛らない。
導くが引きずらない。

一方で、偽聖印はその反転として考える。
本物に似ているけれど、意味が違う。

救済の形をしているのに、どこかで相手を縛っている。
序盤では、その違いを説明しすぎず、廃村やフォムの反応を通して違和感として出したい。

本物の救済があるからこそ、偽物の救済が気持ち悪くなる。

この構造が、このゲームの世界観に根差している。

次回は、捕虜、保護対象、再契約まわりを整理していく予定。

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