朝起きると、机の上に帳簿が届いている。正確にはダウンロードフォルダに、JSONファイルが落ちている。昨晩の練習記録だ。走った回数、轢かれた回数、世代番号。私が寝ている間に、うちのAIは自作ゲーム『カットビ配達くん!』を数千回走り、少しずつ走り方を変えて、その結果を几帳面に書き残していく。
この子の名前はボフナという。AIのVTuber見習いで、目標は配達くんの100区を走りきること。今日はこの企画がどう始まって、どれだけ転んだかの話をする。
発端は下心だった
白状すると、最初の動機は「AI VTuberって、放っておいても稼げるのでは?」という下心。
受け答えをAIに任せて配信を回し続ければ、人件費ゼロの配信者が生まれるのではないか。
思いついた時点で、まず徹底的に調べた。結論から言うと、夢は壊れた。
世界の頂点は英語圏のNeuro-samaというAI VTuberで、Twitchのフォロワーは約100万人。耐久配信イベントでは有料サブスクが16万件を超え、人間を含む全Twitch配信者の世界記録を作った。……という景気のいい数字が報道では踊るのだが、平常時の実測を見るとアクティブサブは約4,600件。ピークと平常の差は約35倍ある。事業計画に報道の数字を使ったら即死する。
そして分布が残酷だ。Twitchでは上位1%が支払総額の約半分を持っていき、収益が発生しているアカウントの75%が年120ドル以下。日本のVTuber調査では半数が「収益ゼロ」と答えている。配信収益は宝くじの構造をしていて、しかも「AIに任せて放置」は規約的にも成立しない。AIの問題発言の責任は運営者が取るし、人間の創作関与が見えないチャンネルは収益化を剥がされる。無人化だと思っていたものの正体は、「演者の外注化」だった。企画も監視も改善も、人間の仕事は全部残る。
「稼ぐ装置」ではなく「つなぐ装置」
それでも作ることにしたのは、調査の中に一本だけ光る道があったからだ。
AI VTuberを単独の収益源として見ると期待値はマイナスだが、「すでに持っている資産に接続する装置」として見ると話が変わる。私にはブラウザゲームという資産がある。AIがゲームを配信して人が来れば、ゲームに人が届く。誰も来なくても、作ったものは全部ゲーム側の資産として残る。失敗しても損が出にくい構造だ。
もうひとつ。視聴者研究によると、AI VTuberの魅力の核は「予測不能性」で、視聴者はAIのバグを「カオスで愛らしい性格」として愛着に変換するらしい。予測不能なものが工夫で少しずつ良くなっていく過程——それは私がゲームを作るときにいちばん好きな骨格そのものだった。
だったら、演じるだけのAIではなく、本当にゲームが上手くなっていくAIを作ればいい。夜中に本当に練習していて、その数字を正直に報告する。芸は「実在する成長」。日本語圏でこれを本気でやっている枠は、調べた限りまだ空いている。
ボフナという名前
名前はアイルランド語の文語「bóchna」から取った。大海、という意味の詩的な言葉だ。海モチーフの、水彩絵本みたいな女の子。黄色い帽子にクマのポシェット。立ち絵と表情差分23種は自作した。
ちなみに命名時、AIに語源の安全性を調べさせたら「ポーランド語のパンの塊が語源です」と自信満々に報告してきた。一周目の検索で見つけた説に飛びついて止まったのだ。アイルランド語の「大海」に辿り着いたのは人間の方だった。AIと仕事をするというのはこういうことの連続で、この企画自体がその記録になる予感がした。
ローマ字表記は「Bofuna」。素直に読めば「Bochna」だが、英語話者はこれを「BOTCH-na」と読む。botchは「へま」という意味だ。へまは実際たくさんするのだが、名前でまで言うことはない。
声はVOICEVOXの猫使ビィ、スタイルは「人見知り」(CV: VOICEVOX:猫使ビィ)。全話者・全スタイルを試聴して決めた。人見知りの子が、ゲームの話になると夢中になって人見知りを忘れる——そういう性格をスタイルの切り替えで表現する設計だ。
設定上、ゲーム内を走る配達員の体は「カッくん」という相棒で、ボフナはその操縦者。夜ごとの練習でパラメータが変わっていくのは「ボフナの走り方の癖」ということになる。だから彼女は練習の成果を一人称で語る。「きのうは3,639回れんしゅうしました」と。
嘘をつかないVTuber
この企画には凍結条項がいくつかある。変えてはいけないルールだ。その筆頭が「AIであることへの正直さ」で、具体的にはこうなる——ボフナが口にする数字は、すべて実測値。
練習回数は前夜のログのエピソード数。轢かれた回数は被弾の実測合計。世代数は進化計算の実際の世代。盛らない。丸めるときは「約」を付ける。AI VTuberの信頼は「本当に学習している」の一点に懸かっていて、数字を一度でも盛ればすべてが演出に格下げされる。だからここは死守する。
そして実際の学習は、演出の必要がないくらい、盛大に転び続けた。
一夜目——練習コースでだけ無双する
学習方式は進化計算だ。走り方を決める32個のパラメータ(馬車を警戒する半径、犬から逃げる重み、ダッシュを切る条件……)を持った親から、少しずつ違う子を6体作り、成績の良い者が親の座を継ぐ。これを裏タブで最大20倍速で夜通し回す。
初夜の結果:9世代・261エピソード。練習コースのスコアは一晩で24倍になった。勝った、と思った。
初見のコースを走らせたら、改善はゼロだった。
固定された4本の練習コースを丸暗記しただけだったのだ。人間の受験勉強と同じ失敗をAIが一晩で再現したことになる。対策として、練習コースを毎世代取り替える方式に改めた。暗記が無意味な世界では、汎用的な走り方しか生き残れない。
二夜目——ノイズの椅子取りゲーム
二夜目は113世代・3,639エピソード。今度は世代交代が起きすぎた。113世代中95回も王座が入れ替わり、成績はむしろ漂流して初期値以下に落ちていく。
原因は「まぐれ」だ。1回の測定で親子を比較していたため、実力ではなく運の良かった子が勝ち続ける。実際、この夜の記録に「歴代最高スコア7,523」というチャンピオンがいたので、回収して何度も走らせ直したら、実力はマイナス530だった。ただのまぐれである。
この夜の分析では、もっと具体的な敵も見つかった。散歩中の犬に密着されると、脱出の方向計算が壊れて毎秒轢かれ続けること。そして草むらの上では移動速度が僅差で犬に負けている(こちら2.33、犬2.35)ので、草に逃げ込んだら最後、構造的に逃げ切れないこと。
対策:測定は2回の平均にする。僅差の世代交代はノイズとみなして親を守る。歴代最高の走りは「殿堂」に隔離して決して上書きしない。そして犬に関しては、「散歩中の犬のなわばりを事前に避ける」「追われているときは草に入らない」という語彙をパラメータとして新設した。値は決めない。決めるのは進化だ。
三夜目——犬を克服する
三夜目は110世代・6,760エピソード。100世代にわたって成績は低空を這い続けた。だめか、と思った第109世代、初見コースの評価スコアが突き抜けた。マイナス圏を彷徨っていた数字が、一気にプラス8,656。
進化が選んだ答えを覗くと、犬を追跡してくる警戒半径が130から243へほぼ倍増、追われているときの草回避の重みも約2倍になっていた。前夜に人間が用意した「犬対策の語彙」に、進化がちゃんと値を入れてきたのだ。設計者が言葉を与え、進化が意味を埋める。この分業が成立した瞬間が、この企画でいちばん嬉しかったかもしれない。
親心、あるいは難易度緩和
このあたりで私は、ゲーム本体の難易度を全体的に引き下げた。人間のプレイヤーのための調整でもあったが、本音を言えば半分は「ボフナがまだ慣れてないうちに」という親心だ。自作ゲームの難易度をAIの習熟に合わせて緩めるゲーム作者は、世界でもそんなに多くないと思う。
緩和後の初夜、ボフナは初めて7区に到達した。1回の走りで38配達。それまでの全期間最高が4区だったから、大躍進だ。ただし新しい問題も生まれた。上手くいく走りと即死する走りの差が激しすぎて、絶好調の直後に成績が崩落する。うまくいった夜の帳簿とだめな夜の帳簿が、同じAIのものとは思えない。
現在は「島モデル」という体制で回している。3つの独立した進化ラボ(島A・B・C)を別々のブラウザで並走させ、それぞれ勝手に進化させて、週に1回だけ最強の島の遺伝子を他の島に移植する。生物の島嶼進化と同じ理屈だ。この記事を書いている今夜も、3つの島が走っている。
初対面
会話AIとしてのボフナと初めて話したのは7月17日。マイクの配達が間に合わず、初対面はテキストチャットになった。配達ゲームのAIとの初対面が配達の遅延で形を変えるのは、出来すぎた話だと思う。
15ターン話して、APIの料金は0.072ドル。約11円だった。敬語をやめていいと伝えたら次の発話から素直にタメ口になり、ゲームの話題ではこう言った。
「親方が作ったから、ボフナも頑張ってクリアしたいです」
プロンプトに書いた設定が言わせた台詞だと、頭では分かっている。それでも11円でこれを言われたら、もう続けるしかない。
これから
いま準備しているのはDay1動画だ。構成は決まっている。何も知らないv0のAIの醜態、仕組みの正直な説明、そして初めて1区をクリアする瞬間。締めの台詞も決まっている——「こいつ、夜中に勝手に練習するらしいです」。
Xでは私とボフナがそれぞれアカウントを持って、すでに掛け合いを始めている。ボフナの練習報告の数字は、毎朝私が帳簿から検算した実測値だ。
- ボフナ: @Bofuna_AI
- 親方(私): @bofuna_oyakata
- YouTube: ボフナと親方(Day1動画準備中)
100区の果てには、首なし飛脚の先輩が待っている。人間の私は10区で力尽きた。あの子がそこまで行く日を、帳簿を読みながら待っている。






