明渡しは終わった。判決も取った。それでも一円も戻らない。──なぜ回収できないのか、相手が誰か分からないとどうなるのか、所有者が加害者にされる罠はあるのか。そして視点を反転させたとき、追い出された側から同じ制度はどう見えるのか。前回扱いきれなかった「判決のあと」を追います。
前記事「鍵を開けたら、人が住んでいた」の続編/所要 18分
はじめに
38万円の、その後
── 前回の終わり
佐倉が鍵を受け取ったのは、代金を納付してから5か月後だった。執行費用は締めて38万円。回収の見込みはない。
前回の記事はここで終わりました。ただ、実務としてはここから先があります。
訴状には「明渡し済みまで月額◯◯円の割合による金員」と書いてある。判決にもそう書かれる。ではその判決は、その後どうなるのか。相手が誰なのか分からなかったら、どうなるのか。
そして──これは前回まったく触れなかった視点ですが──追い出された側から見ると、同じ制度はどう見えるのか。
先に一つ、訂正
2020年の民事執行法改正で「第三者からの情報取得手続」が新設され、勤務先情報が取得できるようになった、という説明をよく見かけます。これは半分だけ正しい。
勤務先情報を取得できる債権者は、法律で限定されています。賃料相当損害金のような一般の金銭債権では使えません。この点は本文で詳しく扱います。
第1幕
判決は、10年効く
まず良い知らせから。取った判決は、簡単には消えません。
確定判決で確定した権利は、時効期間が10年になります民法169条1項。元が不当利得(権利を行使できると知った時から5年)でも、不法行為(損害と加害者を知った時から3年)でも、10年より短い時効期間は、判決が確定した時から10年に伸びる。
ただし例外があります。判決が確定した時点でまだ期限が来ていない分、たとえば「明渡し済みまで月額◯◯円」のうち確定後に月々発生していく分には、この10年は適用されません民法169条2項。そこは元の時効のままです。
しかも、強制執行を申し立てれば時効の完成が猶予され、手続きが終わった時点から改めて10年を数え直します民法148条。取下げなどで途中で終わった場合は数え直しにならず、終了から6か月の猶予が残るだけです。それでも理屈のうえでは、10年ごとに手続きを打ち続ければ権利を維持し続けられる。
実務では、回収の見込みがなくても時効管理のためだけに執行を申し立てることがあります。相手の状況が変わったとき——相続で不動産を取得した、退職金が出た、事業を始めた——に備えて、権利だけ生かしておくわけです。
これを債務名義の塩漬けと呼んだりします。
第2幕
財産を探す手段と、その天井
問題は、相手の財産をどうやって見つけるかです。ここに2020年施行の改正で入った制度があります。ただし誰でも全部使えるわけではありません。
財産開示手続
債務者を裁判所に呼び出し、自分の財産を陳述させる手続きです民執196条以下。改正前は実効性が乏しいと言われていましたが、不出頭や虚偽陳述に6か月以下の拘禁刑または50万円以下の罰金民執213条という刑事罰が付いたことで、実効性が上がったと言われています。
ただし、呼び出すには住所が分かっていなければなりません。送達できなければ始まらない。逆に言えば、本人を出頭させることさえできれば、勤務先や給与も含めて財産を陳述させることはできます。
第三者からの情報取得手続
裁判所を通じて、第三者から債務者の財産情報を提供してもらう制度です民執204条以下。ここが一般に誤解されやすい。
| 取得できる情報 | 提供者 | 使える債権者 | 財産開示の前置 |
|---|---|---|---|
| 預貯金情報 | 金融機関 | 一般の金銭債権でも可 | 不要 |
| 株式等情報 | 証券会社等 | 一般の金銭債権でも可 | 不要 |
| 不動産情報 | 登記所 | 一般の金銭債権でも可 | 必要(申立て前3年以内に財産開示期日が実施されていること) |
| 勤務先情報 | 市町村・年金機構等 | 養育費等の扶養義務に係る請求権、または人の生命・身体の侵害による損害賠償請求権の債権者に限る | 必要(申立て前3年以内に財産開示期日が実施されていること) |
表1の読み方|どの情報も、確定判決などの債務名義を持ち、先に強制執行をしても完全な弁済を得られなかった(または得られる見込みがない)ことが前提です民執197条1項。「株式等」は振替制度で管理されている上場株式・国債などを指します。
勤務先情報はプライバシー性が高いため、必要性の高い債権者に限定されています民執206条。賃料相当損害金や不当利得返還請求権は、この限定に入りません。
つまり不法占拠の被害を受けた所有者は、相手が就職しても、裁判所を通じて勤務先を照会するこの制度は使えません。給与を差し押さえるには支払元を特定する必要がありますが、残る手段は、本人を財産開示に出頭させて陳述させるか、自分で調べるかです。
この図の読み方|③の「勤務先情報は使えない」は、裁判所を通じた照会制度(民執206条)が使えないという意味で、財産開示で本人に陳述させる道は残る。②も、あとから身元が分かれば先へ進める。
差し押さえられるもの、押さえられないもの
| 対象 | 可否 | 内容 |
|---|---|---|
| 預貯金 | 可 | 原則として残高全額。ただし捕捉した時点で押さえないと動かされる |
| 給与 | 一部可 | 手取り44万円以下なら4分の1まで民執152条。手元に残す額の上限が33万円(政令で定める額)なので、手取りが44万円を超えると、33万円を残した残り全部(手取り60万円なら27万円)。生活が成り立たない事情があれば範囲の変更を申し立てられる民執153条 |
| 生活必需品 | 不可 | 生活に欠かせない衣服、寝具、家具、台所用具など民執131条。何でも不可ではなく「生活に欠かせない」範囲 |
| 年金受給権 | 不可 | 国民年金法24条、厚生年金保険法41条ほか(法律で認められた例外を除く) |
| 生活保護費 | 不可 | 生活保護法58条(既に支給された保護金品も含む) |
年金が口座に入った後は?
最高裁は、年金が口座に振り込まれると預貯金債権に変わり、差押えを禁じる性質は引き継がれない、としています(最判平成10年2月10日)。原則としては差押えの対象になり得る。
ただし例外があります。振込みの時期と原資を把握したうえで、差押禁止の潜脱に当たるようなやり方で差し押さえた場合を違法とした裁判例です。よく引かれる広島高裁松江支部平成25年11月27日判決は、児童手当が振り込まれた直後の口座を県が税の滞納処分で差し押さえた事案で、民事の強制執行の事案ではありません。「原資が年金なら違法」と一般化はできない、という位置づけです。
民事執行の場面では、差押禁止債権の範囲変更民執153条により、生活の維持が困難になる場合は差押えが取り消される可能性があります。「口座に入れば全部押さえられる」とも「年金なら絶対に押さえられない」とも、単純に考えないほうがいい領域です。
費用対効果という、最後の壁
財産開示も情報取得手続も、申立てのたびに費用と手間がかかります。一回あたり数万円程度でも、10年追い続ければ累積する。そして、回収できる金額がその費用を下回る可能性が高い。
だから実務上の結論は、こうなります。
判決は取る。時効管理だけしておく。積極的な執行は、相手の状況が変わったという情報が入ったときに限る。
前回「請求権は成立するのに実現手段がない」と書きましたが、正確には手段はあるが採算が合わないです。そして一部の手段は、そもそも使う資格が与えられていない。
第2幕・補
相手が誰か分からない場合
身元不明の占有者、という状況があります。名前も分からない、住民票もない、あるいは無戸籍。
ここで明渡しと金銭回収が、はっきり分かれます。
| 手続き | 可否 | 理由 |
|---|---|---|
| 占有移転禁止の仮処分 | 可 | 債務者を特定しないで発令できる民保25条の2。執行時に占有を解かれた者が債務者になる |
| 明渡しの実現 | 可 | 仮処分の執行で占有者を確定し、本案の判決(競売なら引渡命令)を取って執行する。執行官が現場で特定し、氏名不詳のまま調書を作ることもある |
| 財産開示手続 | 不可 | 呼出しの送達先がない |
| 預貯金情報の取得 | 不可 | 氏名・住所という検索キーがない |
| 差押え | 不可 | 名義が不明では対象を指定できない |
表3の読み方|「不可」は、身元が分からないままでは、という意味です。あとから氏名や送達先が分かれば、そこから先へ進めます。
債務者を特定しない仮処分
2003年改正で導入された制度です。申立書の債務者欄には氏名も住所も書かず、「本件仮処分命令執行の時において別紙物件目録記載の不動産を占有する者」と記載します。
そして執行によって不動産の占有を解かれた者が、債務者になる。誰か分からないまま手続きを始めて、現場で相手が確定する構造です。
ただし条件が二つあります。
- 「執行前に債務者を特定することを困難とする特別の事情」の疎明が必要。調査経緯の報告書、弁護士会照会(ライフライン契約や警察署への照会。ただし回答が得られるとは限らない)、現況調査報告書などが例として挙げられます。裁判所は調査不足の申立てにかなり厳しいとされます
- 執行の現場で占有者を特定できなければ、執行はできません民保54条の2。そして執行されないまま期間が過ぎると、仮処分命令は効力を失います民保25条の2第3項。誰が占有しているのかを現場で確定できるかどうかが、すべてです
執行の現場で、執行官は占有者に質問し、文書の提示を求めて特定を試みます。所持品や郵便物から氏名を確認できれば調書に記載され、判明しなければ写真や身体的特徴で特定した調書が作られる、と実務書では説明されています。
本案訴訟でも、実務では「氏名不詳(通称○○、別紙写真の男性)」といった形で当事者を特定して提訴する例があります。当事者の特定は他と識別できる程度で足りるという考え方ですが、裁判所ごとに運用の厳しさが違い、素直に受理されないこともあります。
身元が判明する、現実的なルート
所有者がコントロールできる範囲は限られます。実際に身元が分かるのは、たいてい次のどれかです。
- 刑事事件化して、指紋照会などで特定される
- 救急搬送される
- 生活保護を申請する
- 本人が任意に名乗る
そして身も蓋もない話ですが、これらの経路をたどる人に、まとまった資力があることは多くない。身元が判明しても回収にはつながらないことが多い。
第3幕
触った瞬間、説明する側に回る
ここからは角度を変えて、所有者が加害者にされるパターンを見ます。
立証責任は、誰にあるのか
「荷物を勝手に出された」と訴えるのは占有者側なので、原則として占有者が主張立証します。占有していたこと、妨害されたこと、損害の内容と額。
ただし立証責任が相手にある=所有者が有利、とは限りません。
占有の立証は、意外と簡単だからです。前回整理したとおり、占有は所持と自己のためにする意思で足り、権利は要りません。生活用品の写真、郵便物、レシート、知人の証言。そして決定的なのは、所有者自身が荷物を外に出したという事実です。中に荷物がなければ、出せません。
争点は「占有があったか」ではなく「所有者の行為が違法か」に移りやすい。そして自力救済に踏み込んだ側は、自分の行為の正当性を自分で説明する立場に立たされます。形式的な立証責任がどちらにあっても、実質的には不利になる。
では、罠として仕掛けられたら
実際には占有していないのに、入口付近にわざと荷物を置き、所有者がそれを動かす瞬間を撮影する。そして「中にあった荷物を勝手に出された」と主張する。
この構図は、仕掛けた側にも高い壁があります。勝ち負けは証拠と請求の中身しだいなので「負けない」とは言えませんが、相手が主張しなければならないことが多いからです。
「中にあった荷物を外に出された」という主張は、実は複数の事実の束です。
- その建物を占有していたこと
- その荷物が建物の内部にあったこと
- 所有者がそれを外に出したこと
- 損害が発生したこと
写真が証明するのは三つめの一部、それも「屋外で荷物に触れている」という事実だけです。屋内から出す瞬間を撮っていない限り、写真は肝心な部分を証明しません。
そして相手は、どうやって中に入ったのかを説明しなければなりません。鍵はどこで手に入れたのか。いつから住んでいたのか。電気も水も使われていない建物で、生活はどう成り立っていたのか。なぜ荷物が入口付近に集中していたのか。
罠として仕掛けた場合、この説明が苦しくなります。無理に作れば虚偽の主張になり、心証が傾きます。ただし裁判所は、状況証拠や供述から事実を認定することもあるので、写真がなければ何も認められない、という話でもありません。
ただし、占有の否定と所有権の否定は別
占有が認められなくても、その荷物の所有権は置いた人にあります。勝手に動かして破損させれば不法行為になるし、処分すれば損害賠償の対象です。
「占有していなかった」という反論は、占有妨害の請求を潰しますが、動産の所有権侵害の請求は潰しません。訴訟の形が変わるだけで、負ける可能性は残ります。
現実のリスクは、訴訟ではなく交渉
ここが本題かもしれません。罠を仕掛ける側の狙いが、勝訴判決ではなく示談金にあることは多い。
「訴える」と言われ、写真を突きつけられ、数十万で手を打とうと持ちかけられる。訴訟にすれば勝てるとしても、弁護士費用と時間を考えると払ったほうが安い、と判断させる。これは訴訟の勝ち負けとは別の力学で、実際に効きます。
だから対策は、訴訟に勝つ準備ではなくそもそも罠にかからない準備になります。
| 順序 | やること | 意味 |
|---|---|---|
| 1 | 触る前に、荷物の全体と周囲を撮影(日時が入る形で) | 「中にあった」という主張への反証 |
| 2 | 建物の施錠状態、窓、破錠痕の有無を撮影 | 侵入の有無と経路の記録 |
| 3 | 電気・ガス・水道のメーターを撮影、検針票を保管 | 生活実態がなかったことを示す、強い手がかりの一つ |
| 4 | 日付入りの警告文を掲示し、掲示した状態も撮影 | 手順を踏んだことの記録 |
| 5 | 一定期間を置く | 「即座に処分した」という評価を避ける |
| 6 | 動かす場合は、移動前後を撮影。敷地内での保管にとどめる | 処分は最終手段。可能なら弁護士に相談してから |
| 7 | 可能なら第三者(管理会社、近隣、警察への相談記録)を挟む | 客観性の確保 |
面倒に見えますが、この記録があれば、相手が「中にあった」と主張した瞬間にメーターの記録と施錠状態が矛盾を突きます。
自力救済の禁止は動産にも及びます。放置物だからといって勝手に捨ててよいわけではない。触る前に撮る、という順番がすべてです。
第4幕
建物の形で、難易度が変わる
ここまでは専有部分を前提にしてきました。外階段、外廊下、踊り場、屋上といった共用部分に住み着かれた場合は、事情が変わります。
施錠がなくても、刑事の看守性は認められうる
共用部分も、刑法130条の「住居」や「人の看守する邸宅」に当たり得ると解されています。最高裁は、集合住宅の共用部分への立入りについて二度、有罪の判断を示しています(最判平成20年4月11日、最判平成21年11月30日)。
この二つの判決の読み方
どちらもビラ配布のために共用部分へ立ち入った事案で、建物の構造や管理の状況、立入りの目的をふまえて「管理者の意思に反する立入り」と判断されたものです。住み着いた人をどう排除するか、居座りが続いた場合をどう扱うかを判断した判決ではありません。ここから言えるのは「施錠がなくても、管理されている共用部分への無断の立入りは犯罪になり得る」というところまでで、それ以上に広げないほうが安全です。
判断されるのは施錠の有無だけではなく、施錠も含めた管理の実態です。管理人や管理会社が入っているか、清掃や補修がされているか、立入禁止の掲示があるか、門扉やフェンスがあるか。これらを総合して判断されます。
逆に、完全に放置された廃屋では看守性が否定されることがあります。競売で取得したまま何年も放置していた、というケースはここが弱くなる。
民事では、施錠はほとんど関係ない
占有の要件は所持と自己のためにする意思であって、施錠は要件ではありません。施錠されていない階段下に寝具を敷いて寝起きし、事実上その場所を支配していれば、その範囲について占有が成立し得ます。
入るのが簡単だったことは、追い出しやすさに一切つながりません。
| 専有部分 | 共用部分(外階段・屋上など) | |
|---|---|---|
| 占有の成立 | 成立する | 成立する(変わらない) |
| 明渡しの目的物特定 | 比較的容易 | 図面と写真で区画を示す必要があり、煩雑 |
| 執行後の再侵入 | 鍵交換で締められる | 物理的に閉鎖しないと翌日戻れる |
| 占有範囲の変動 | 安定 | 階段下→屋上→駐輪場と移られると対象が変わる |
だから、対策の順序が逆になる
専有部分なら「手続きを取って、執行して、鍵を交換する」。共用部では、執行と同時に物理的な閉鎖をしないと、執行が意味を持ちません。執行官が立ち退かせたその日のうちに、階段室や屋上の扉を施錠し、門扉を閉める。閉鎖の準備を先に整えておく、という意味で順序が逆になります。
そして重要なのがタイミングです。
- 誰も占有していない段階での閉鎖は、原則として自由。門扉、フェンス、階段室や屋上の扉の施錠。自分の建物に手を加えるだけです。ただし避難経路をふさがない(消防・建築の決まり)、他の住人や通行する人の権利を妨げない、という制約は別にあります
- 住み着かれた後の閉鎖は自力救済。占有妨害になります
前回から何度も出てきた構図が、また出てきます。入られる前なら何をしても自由で、入られた後は何もできない。境目は、生活の実態ができた瞬間です。
放置期間が長くなる物件を持つなら、門扉と施錠、立入禁止の掲示、防犯カメラ、定期巡回と巡回記録の保存。巡回記録は二重に効きます。早期発見につながることと、「管理の実態があった」という看守性の裏づけになること。
第5幕
逮捕されても、終わらない
破錠があれば、刑事の立証は楽になる
破錠して侵入した場合、成立しうる罪が増えます。住居侵入罪刑法130条前段に加え、錠の破壊について器物損壊罪刑法261条、態様によっては建造物損壊罪刑法260条。
破錠痕は誰かが無断で入ったこと自体を客観的に示す証拠です。誰がやったかまでは示しませんが、「前の住人に貸してもらった」といった弁解は、物理的に成り立ちにくくなる。前回書いた「民事不介入で処理されがち」という壁は、客観証拠があると下がります。
ただし時間が経つと効力が落ちます。何年も前の破錠だと、いつ誰がやったかの立証が難しい。所有者が長期間放置していれば、なおさらです。ここでも早期発見が効きます。
それでも、占有は消えない
逮捕・勾留されても占有権は失われません。荷物が残っていれば所持は継続していると評価されるのが原則で、釈放されれば戻ってきます。
そして——ここが実務でいちばん困る形ですが——本人がいなくなり、荷物だけが残った状態が生まれます。
荷物だけが残ったら、何ができるか
勾留中の数週間程度なら、占有は継続していると見るのが安全です。長期間(数か月以上)誰も戻らず、荷物が劣化し、実刑で服役中というような事情が重なれば、占有の放棄が認められる可能性は出てきますが、判断は慎重にすべき領域です。
「誰の物か分からない」ことは、処分してよい理由になりません。遺失物として届け出るという発想もあります。遺失物法は落とし物のほかに「他人の置き去った物」も対象にしているので遺失物法2条1項、門前払いとは限りません。ただ、持ち主が分かっている荷物を警察が受け取るかは事案しだいで、届け出たからといって所有者の側で処分してよいことになるわけでもありません。
現実に取れる手は、次のとおりです。
- 刑事手続を経由して身元を掴む。被害届を出していれば情報が得られる場合があり、弁護士会照会という手段もある
- 身柄拘束中でも明渡しの手続きは進められる。送達先が施設になるだけで、むしろ所在が確定している分やりやすい
- 弁護人を通じて、荷物の引き取りまたは処分への同意を求める。同意書が取れれば、これが最も安全で安く済む解決
- 荷物の状態、位置、数量を写真と動画で記録する
- 建物本体の施錠は慎重に。外周部(門扉、フェンス、敷地入口)の管理強化とカメラ設置が先
「相手が捕まっているから、様子を見よう」は最悪の判断
競売物件なら、代金納付から6か月という申立ての期限が進行しています。相手が不在で争う人がいない今のほうが、引渡命令は通りやすい。審尋への回答がなくても裁判所は要件を審査しますが、争う主張が出てこない分、進みは早くなります。
ここも制度の分業の産物です。刑事手続は身柄と処罰を扱い、そこにある荷物のことは扱わない。民事手続は明渡しを扱うが、動かすには相手の特定が要る。荷物だけが残り、持ち主が刑事手続の中にいて、所有者はどちらの手続きからも締め出されている。明渡しの執行まで進めば、残った荷物は執行官が取り除いて保管し、引き取りがなければ売却する道があります民執168条5項以下。問題は、そこへ至るまでの数か月、荷物に手が出せないことのほうです。
第6幕
反対側から、同じ制度を見る
ここで視点を反転させます。
外出中に荷物を処分された、あるいは実力で追い出された。身元を証明するものがなく、金銭もほとんど持たない。この人は、誰に、どうやって訴えることができるのか。
制度の実効性は、いちばん使えない立場の人から見たときに一番よく見えます。
費用の壁は、制度上は取り払われている
| 制度 | 内容 |
|---|---|
| 民事法律扶助 (法テラス) | 資力が一定以下なら、弁護士費用と実費を立て替え。無料の法律相談も。生活保護受給中は償還が猶予され、事件終結時に免除される場合もある |
| 訴訟救助 民訴82条 | 訴訟費用を支払う資力がない場合、裁判所が納付を猶予。「勝訴の見込みがないとはいえない」ことが条件。印紙代が払えなくても提訴できる |
| 占有回収の訴え 民法200条・201条3項 | 占有を奪われた場合、物の返還と損害賠償を請求できる。奪われた時から1年以内という期間制限に注意 |
| 損害賠償 民法709条・710条 | 処分された荷物の価値と慰謝料。追い出し行為に慰謝料を認めた裁判例は複数ある |
住所も身分証も、要件ではない
ここは意外に思われる点です。
- 訴状に書くのは氏名と住所ですが、住所がなければ居所でよく、それもなければ送達場所(支援団体の所在地など)を届け出る運用があります
- 身分証がなくても、本人が出頭して氏名を名乗れば訴訟はできます。運転免許やマイナンバーカードは訴訟の要件ではありません
- 住民票がなくても、生活保護の申請は可能です。生活保護法19条1項2号は、居住地がないか明らかでない要保護者についてその現在地を管轄する実施機関(都道府県知事や市長など。実際の窓口は福祉事務所)が保護を行うと定めています(現在地保護)
公園で寝泊まりしている人も、生活保護を申請できる
できます。申請は要保護者本人、扶養義務者、同居の親族ができるとされており生活保護法7条、住所や身分証の有無で申請の受理を拒むことはできません。
厚生労働省も、住まいがないことだけを理由に申請を受け付けない扱いは認められない、という趣旨を通知や事務連絡で示してきました。「住居がないと申請できない」「住民票を取ってから来て」という説明には、法的な根拠がありません。申請が受け付けられたあとに、収入や資産の調査を経て保護するかどうかが決まる、という順番です。
ただし制度と運用の差が大きい分野でもあります。窓口で口頭のまま帰される、申請書を渡さない、といった対応(いわゆる水際作戦)は、申請の意思がある人に対して行えば違法とされますが、実際に起きています。単なる相談で終わったのか、申請を妨げられたのかの線引きが、あとで争いになりやすいところです。
立証は、むしろ占有者側のほうが楽な面もある
前に書いたとおり、所有者が荷物を出したこと自体が、荷物の存在と占有の実態を裏づけます。所有者が「中には何もなかった」と主張すれば、では何を出したのかという矛盾に直面する。
それでも残る壁
制度が用意されていることと、使えることは別です。
- 情報にたどり着けない——法テラスや扶助制度の存在を知らなければ始まらない
- 連絡手段がない——携帯がなければ、裁判所や弁護士からの連絡を受け取れない。実務上いちばん深刻です
- 書類が保管できない——訴訟には期日があり、書面が届く。住所も保管場所もないと手続きを維持できない
- 損害の立証が難しい——処分された荷物の写真もレシートもない
- 時間——訴訟は年単位。その間の生活が成り立たなければ続けられない
これらの壁は、支援団体が入ると一気に下がります。団体の住所を連絡先にできる、書類を預かってもらえる、期日に同行してもらえる、弁護士につないでもらえる。
つまり現実の分かれ目は法律の内容ではなく、その人がどこかの支援につながっていたかどうかです。つながっていれば勝てる事件が、つながっていなければ存在しなかったことになる。
結び
二つの「届かなさ」
前回の記事は、所有者の視点で書きました。自力救済が禁じられ、費用を立て替え、回収できない。理不尽に見える、と。
視点を反転させると、別の制度不全が見えてきます。追い出された側にも権利はあり、費用の制度も整っている。それでも到達できない。
どちらの側も、権利そのものは認められ得る。止まるのは、権利の中身ではなく、実現の手前です。
そして両者が止まっているその隙間に、前回書いた占有屋のような、制度の穴を職業的に使う人間が入り込む余地が生まれる。彼らだけが、両側の壁を知ったうえで動いていた。
制度を批判するとき、「保護が厚すぎる」という言い方をしがちです。けれどこの二枚の壁を並べて見ると、問題は保護の厚さではなく、権利と実現のあいだに開いた距離のほうにあると思えます。距離を縮める方法は、保護を削ることとは違う。
前回の結論は「手続きを速く安くしろ」でした。同じことを、今度は両側について言えます。所有者には執行の負担軽減を。占有者には支援への接続を。どちらも誰かの権利を削らずにできることです。
本記事について|一般的な制度の解説であり、個別の案件に対する法律上の助言ではありません。費用や期間の数値は目安であり、裁判所・事案によって変動します。法令や運用は改正されることがあります。実際の対応にあたっては弁護士にご相談ください。
主な参照条文|民法148条・169条・180条・198条・200条・201条・703条・704条・709条・710条/民事執行法131条・152条・153条・168条・196条以下・197条・204条以下・205条・206条・207条・213条/民事保全法25条の2・54条の2/民事訴訟法82条/刑法130条・260条・261条/生活保護法7条・19条・58条/国民年金法24条/厚生年金保険法41条/遺失物法2条
主な参照判例|最判平成10年2月10日(年金の振込口座の差押え)/最判平成20年4月11日、最判平成21年11月30日(共用部分への立入り)/広島高裁松江支部平成25年11月27日判決(児童手当の振込口座に対する滞納処分)
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