僕は自分の話をする。

でもそれは、
「自分はこういう人間です」と
確定させるためではない。

むしろ逆。

反応を見るためにやる。

自分の価値観を少し出す。
思考を少し開示する。
好みや判断基準を話す。

そのとき、相手はどう反応する?

深掘るか。
流すか。
茶化すか。
否定するか。

そこに、その人の構造が出る。

だから僕は、
開示しているようで、観測している。

自分の言葉は、
相手を見るための道具でもある。

これは計算ではない。

自然にそうなっている。

そして、
雑に扱われたと感じたら、
次はもう出さない。

僕の出した言葉への触れ方で、
人はわかる。