鍵を開けたら、人が住んでいた ── 古い家の玄関と鍵

落札した建物の扉を開けると、見知らぬ男が布団を敷いて寝ていた。所有者はあなた。相手に契約はなく、家賃も払っていない。それでも、あなたはその人を追い出せない。──日本の不動産法制が、なぜそんな設計になっているのか。実際に何ができて、何をすると自分が加害者になるのか。買う前に何を準備しておくべきか。

架空の人物 佐倉を主人公に、物語形式で紹介する。

物語形式で読む不動産法/所要 15分

プロローグ

3,200万円の買い物

── 5月、東京地方裁判所 民事執行センター

佐倉は開札結果の紙を二度見した。中野区の築30年、木造2階建て。評価額よりかなり安く落ちていた。3,200万円。

三点セットは読んだ。現況調査報告書の「占有者」欄には、前所有者の名前があった。執行官の所見には短くこう書かれていた。現地を訪問したが応答なし。郵便物の滞留あり。

空き家だろう、と佐倉は思った。代金を納めて鍵を交換して、リフォームして貸す。半年あれば回る。

6月、代金を納付。所有権移転登記が済んだ翌週、佐倉は鍵屋を連れて現地に立った。玄関の錠は回らなかった。裏に回ると勝手口が開いていた。

台所に、見慣れないカセットコンロがあった。奥の和室に、人が寝ていた。

ここから佐倉が知ることになるのは、次の一点に尽きます。

所有権を持っていることと、その建物を使えることは、別の話である。

そして両者を強制的につなぐ唯一の橋が、裁判所の手続きです(相手が自分から出ていく任意退去は別として)。橋を使わずに川を渡ろうとした所有者は、ほぼ例外なく、自分が訴えられる側に回ります。

第1幕

なぜ、追い出せないのか

日本の民事法には自力救済の禁止という原則があります。条文に直接書かれてはいませんが、最高裁がはっきり述べています。

最高裁 昭和40年12月7日判決(民集19巻9号2101頁)

私力の行使は原則として法が禁じており、法律の定める手続によったのでは権利侵害に対して現状を維持することが不可能または著しく困難な、緊急やむを得ない特別の事情がある場合に限り、必要の限度を超えない範囲で例外的に許されるにすぎない──という趣旨を判示したものです。

「緊急やむを得ない特別の事情」はきわめて狭く解されており、建物の明渡しの場面でこれが認められた例はほとんど知られていません。

重要なのは、この原則が相手の権利の有無を問わないことです。相手が賃借人であろうと、契約の切れた元賃借人であろうと、まったくの不法占拠者であろうと、結論は同じ。所有者が実力で排除することはできません。

「これくらいなら」が一番危ない

明渡しを急ぐ所有者が手を出しがちな行為を、結論から並べます。

表1|所有者がやりがちな行為と、その法的評価
行為評価問われ得る責任(要件を満たした場合)
玄関の鍵を交換する違法不法行為(損害賠償)/建造物侵入罪
荷物を運び出して保管・処分する違法不法行為/窃盗罪・器物損壊罪
電気・ガス・水道を止める違法不法行為(慰謝料を認めた裁判例が複数)
門扉やフェンスで敷地を封鎖する違法占有妨害/威力業務妨害罪・強要罪
中に人がいる状態で閉鎖する違法監禁罪
所有者が無断で室内に立ち入る違法住居侵入罪(後述)
所有者自身が同じ建物に住み込む危険占拠者の住居に無断で入る形になれば住居侵入罪に問われ得るうえ、明渡執行も困難になる
内容証明で退去を求める適法──
占有移転禁止の仮処分を申し立てる適法──
引渡命令を申し立てる適法──

インフラ停止で慰謝料が認められた例として、給湯停止に30万円を認めた東京地裁平成2年1月30日判決、断水を繰り返した事案に10万円を認めた福岡地裁小倉支部平成9年5月7日判決などがあります。荷物の処分まで伴った事案では200万円の賠償を認めた例(東京地裁平成14年4月22日判決)もあります。

見落とされやすい点

「家賃を払っていないのだから止めてもいい」という理屈は通りません。家賃の不払いは、あなたが相手に債権を持っているという話であって、相手の占有を実力で妨害してよい根拠ではないからです。債務不履行と自力救済は別の土俵にあります。

むしろ「滞納があったから止めた」という説明は、故意を自分から述べているに等しい扱いになります。

契約書に「滞納が続いたら明け渡したものとみなす」「鍵を交換できる」といった条項があっても頼れません。家賃保証会社の同種の条項について、最高裁は2022年12月12日、消費者契約法により無効と判断しています。

「払わなかったら止まった」は、どう評価されるか

ここは一つの軸では決まりません。契約上どんな義務を負っていたか、何のために止めたか、どう止めたか、相手にどんな被害が出たか、相手が自力で契約し直せたか。裁判所はこれらを合わせて見ます。次の表は、そのうち「作為か不作為か」「相手が代わりを用意できるか」という2つの材料を並べたものです。

表2|インフラ供給が絶たれた場合の評価の材料(これだけで結論は出ない)
状況性質評価
所有者名義の料金を払わず、電気が止まった不作為妨害とは言いにくい
占有者名義の料金を立替えていたのをやめた不作為継続する義務はない
元栓を閉める/解約手続きをとる作為妨害
共用部の受水槽ポンプ、集合住宅の給水設備を止めた作為妨害(代替不能)

この表の読み方

表2は判断の「考え方」の整理で、「所有者名義の料金を払わずに止まった」場合を正面から扱った公表裁判例は、執筆時点で見つけられていません。動機と時系列しだいで妨害と評価される余地は十分にあります。実務上は「止めない・止まらないようにする」以外に安全な選択肢はなく、迷う場面では弁護士に確認してください。

ただし裁判所は形式より実態を見ます。明渡しの交渉が山場にさしかかった時期に「たまたま」支払いが止まった、という時系列があれば、動機は推認されます。「別の資金に回したかった」「支払わないと事業が破綻する」といった事情は、自力救済の可否には反映されません。最高裁が例外を認めるのは「法律の手続きによったのでは現状を維持することが不可能または著しく困難」な場合であって、所有者側の財務的な逼迫はそこに含まれないためです。

それに、居住者のいる建物で長期の断水・停電が続けば、衛生状態の悪化や冬季の凍結破裂が起きます。自分の資産を傷めることになります。

第2幕

「占有」とは何か

すべての出発点はここにあります。民法180条は占有を「自己のためにする意思をもって物を所持すること」と定めています。

占有(民法180条)= ① 所持 + ② 自己のためにする意思 ① 所持(客観) 事実上の支配。物理的に握って いる必要はなく、社会通念上の 支配で足りる(旅行中でも継続) ② 自己のためにする意思(主観) きわめて緩く解され、所持の事 実からほぼ自動的に推認される。 「所有の意思」とは別物 権利(権原)の有無は、要件に入っていない → 不法占拠者にも占有権は発生し、占有保持の訴え(民法198条)を起こせる
図1 占有の成立要件。契約や権利は要件に含まれていない。「契約がないなら権利もないはずだ」という直感は、この構造の前では通用しない。

不法占拠者にも占有権がある。だからこそ、敷地を封鎖されたりインフラを止められたりすれば、占有保持の訴えや仮処分を起こせます。仮処分は数週間で結論が出ることがあるため、明渡訴訟に半年かけている所有者のほうが先に負ける、という逆転が起こり得ます。

関連する区別

  • 自主占有/他主占有──所有の意思があるか。取得時効の成否に関わる
  • 直接占有/間接占有──貸主は借主を通じて間接的に占有している(代理占有・民法181条)ため、貸している間も占有者
  • 占有補助者──同居家族や住み込み従業員など、主たる占有者の指揮下で所持している者。多くの場合、独立した占有は認められない(ただし家族だからと一律に決まるのではなく、独立した権原や支配の実態があれば別)。明渡執行で家族全員を相手方にしなくてよい理由がここにある

この区別は実務の急所です。誰が独立した占有者で、誰が補助者にすぎないのか。これを見誤ると、後述する引渡命令の相手方の立て方を間違えます。

所有者が同じ建物に住み込んだら?

両方が占有者になります。占有は排他的な権利ではなく、同一の建物に複数の占有が並存し得るからです。相手が対立関係にある以上、補助者に格下げされることもありません。

実務上は避けるべき手です。執行官が明渡しの対象範囲を特定できなくなり執行不能のリスクが生じること、相手に「所有者の承諾を得て住んでいる」と主張する余地(使用貸借の黙示の合意)を与えること、そして単純に身元不明の相手と同一空間で生活する危険があること。法的立場を強めるどころか弱めます。

第3幕

競売の買受人だけが使える近道

ここまで読むと絶望的に見えますが、競売で取得した場合には強力な制度があります。引渡命令です民事執行法83条

訴訟ではなく決定の手続きなので、書面審査で完結します。要件を満たせば数日から数週間で発令されます。

明渡しまでの所要期間(目安) 0 3か月 6か月 9か月 12か月〜 引渡命令 競売の買受人のみ 発令 強制執行 合計 約2〜3か月 明渡請求訴訟 期限を過ぎた場合 訴訟(争われれば1年超も) 執行
図2 同じ明渡しでも、使える手続きによって所要期間がまったく異なる。引渡命令が使えるかどうかが最大の分岐点になる。

引渡命令の要点

  • 申立てできるのは代金納付後。納付手続が完了すれば申立て可能
  • 期限は代金納付の日から6か月以内。代金納付時に民法395条1項の明渡猶予を受ける占有者がいた建物は9か月以内民執83条2項
  • 対象は、買受人に対抗できない占有者。競売開始前から居座る不法占拠者は典型的にこれに該当する
  • 債務者以外の占有者には審尋が必要民執83条3項。ただし記録上、対抗できる権原がないことが明らかな場合は省略される。東京地裁では通常7日以内の回答を求める審尋書を送達する運用
  • 発令後、相手方には執行抗告の期間があり民執83条4項、命令が確定して効力が生じる同5項。確定した引渡命令が債務名義になり、執行官による強制執行に進める
  • 6か月・9か月は「申立て」の期限であって、明渡しが完了する期限ではない

占有者の入れ替えという古典的な妨害

引渡命令は相手方を特定して発令されます。そのため、執行直前に別人と入れ替わられると空振りになる──これがかつて横行した妨害手口でした。

現在は占有移転禁止の仮処分で塞げます。しかも2003年改正で、債務者を特定することが困難な特別の事情があるときは債務者を特定しないで発令できるようになりました民事保全法25条の2。また、競売手続の中で出される保全処分(民執55条・77条)を執行したあとに占有を始めた者には、一定の要件のもとで引渡命令の効力が及びます民執83条の2。一般の占有移転禁止の仮処分の効力は民事保全法62条の話で、後から入った全員に無条件で及ぶわけではありません。

第4幕

6か月の崖

引渡命令の期限を過ぎると、数週間で終わる決定手続きが、半年以上かかる訴訟に切り替わります。制度上の落差がきわめて急です。

代金納付日から6か月──手続きコストの崖 引渡命令が使える 書面審査/数日〜数週間/申立費用は少額 明渡請求訴訟のみ 口頭弁論/半年〜1年超 弁護士費用・訴訟費用が発生 相手方の特定が必須 6か月(明渡猶予者がいた建物は9か月) 代金納付 経過
図3 期限を1日過ぎただけで、手続きの性質・期間・費用がすべて跳ね上がる。「様子を見る」「話し合いで解決するかもしれない」と待っている間に崖を踏み外すのが、最も多い失敗。

明渡猶予制度にも注意

抵当権に後れる賃貸借の賃借人のうち、競売手続の開始前から建物を使用・収益していた者など(抵当建物使用者)は、買受けの時から6か月間、明渡しが猶予されます民法395条1項。契約のない不法占拠者には関係のない制度です。猶予を受ける者に対しては、猶予期間中は引渡命令で明け渡させることができません。

ただし猶予を受けた者が、使用の対価を1か月分以上滞納し、買受人から相当の期間を定めて催告されてもなお支払わないときは、猶予期間中でも申立てができます民法395条2項

第5幕

金の話

佐倉の頭を最初によぎったのは費用でした。「裁判所が動いてくれるなら安いだろう」──そうはいきません。

表3|明渡しにかかる費用の目安(金額は裁判所・事案により変動)
項目金額の目安備考
引渡命令の申立費用数千円〜収入印紙・郵券。訴訟に比べれば極小
執行官への予納金6〜7万円程度東京地裁65,000円、大阪地裁60,000円、千葉地裁70,000円が目安。相手方の人数で変動
執行補助者費用20万〜60万円超最も高額になりやすい項目。ワンルームで20〜40万円、ファミリータイプで60万円以上も
残置物の保管費用1か月程度の倉庫代執行官が保管を決めた場合。所有者が保管場所を提供できれば節約可能
鍵交換2〜3万円断行日に実施
弁護士費用事案による訴訟に移行すると大きく増える

そして、ここが制度の急所です。

執行に必要な費用(予納金や執行補助者費用など)は法律上、債務者(占有者)の負担とされていますが民執42条、手続き上は所有者が全額を立て替えなければ執行が始まりません。弁護士費用など、所有者の支出のすべてが当然に相手へ請求できるわけでもありません。

執行のスケジュールは、申立てから2週間ほどで明渡しの催告、催告で示される引渡し期限は原則として催告から1か月民執168条の2、その期限の前後に断行。申立てから完了まで6週間程度が目安ですが、保証された日数ではありません。

第6幕

請求はできる。回収はできない。

契約がなくても、占有していた期間の対価は請求できます。構成は2つあり、実務では併せて主張します。

表4|不法占拠者への金銭請求の2つの構成
不当利得返還請求不法行為による損害賠償
根拠民法703条・704条民法709条
金額賃料相当額(善意の受益者は現存利益の範囲、悪意なら全額に利息を付けて)賃料相当額+付随損害
利息悪意の受益者には利息も(704条)不法行為時からの遅延損害金
立証故意・過失の立証は不要故意・過失の立証が必要
時効権利を行使できると知った時から5年/行使できる時から10年民法166条損害と加害者を知った時から3年/不法行為の時から20年民法724条

金額の基準は近隣同種物件の賃料相場です。不動産会社の査定書や周辺の募集賃料、必要なら不動産鑑定士の鑑定を用います。明渡訴訟の訴状では「明渡し済みまで月額◯◯円の割合による金員の支払い」という形で将来分まで請求するのが通例です。

ただし、相手に財産がなければ執行は空振りに終わる

判決を取っても、責任財産がなければ回収できません。給与差押えも、収入のない相手には対象がない。動産執行も、生活必需品の多くは差押禁止財産民執131条にあたるため実益が乏しい。

実務で将来分を判決に含めておくのは、主に明渡しへの圧力と、保証契約がある場合に連帯保証人など第三者へ責任追及する余地に備える意味が大きく、回収そのものは期待されていません。

請求権は成立するのに、実現手段がない。民事執行が「相手に財産があること」を前提に設計されていることの帰結です。だから、困窮者が相手の場合には福祉部門との連携が最も現実的な解決策になる、という話に行き着きます。

第7幕

警察は動くのか

佐倉がまず考えたのは通報でした。無断で人の家に住んでいるのだから犯罪だろう、と。

不法占拠と住居侵入は、別々の軸にある概念です。

同じ事実に、2つの法が同時に働いている 侵入した瞬間 生活実態ができる 時間 刑事|住居侵入罪(刑法130条前段) 継続犯とされ、居続けている間ずっと成立し続ける。3年以下の拘禁刑または10万円以下の罰金 民事|不法占拠(法律上の正式な用語ではない) 権原なく占有し続けている「状態」。明渡請求・不当利得・損害賠償の対象 警察が動きやすい窓 「民事不介入」で処理されやすい領域
図4 刑事と民事は、同じ事実を別の切り口で扱っている。「いつから不法占拠か」を刑法が定義する必要はなく、明確な日数の基準は存在しない。

侵入と不退去の違い

刑法130条は前段と後段に分かれます。

  • 住居侵入(前段)──最初から権原なく立ち入った場合
  • 不退去(後段)──立ち入り自体は適法だったが、退去要求を受けても出ていかない場合

賃貸借が終了した元賃借人が居座るケースは、入居自体は適法だったので、問題になるとすれば後段のほうです。ただし、契約が終わって退去を求められたというだけで自分の住居に住み続けることが直ちに刑法130条の問題になるわけではなく、実際には民事で処理されます。

「住居」に当たるかが争点になる

刑法130条の客体は「人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船」です。

  • 誰も住んでいない空き家は「住居」ではない。「人の看守する邸宅」に当たるかが問題になり、施錠や管理の実態が判断材料になる。まったく放置された廃屋では看守性が否定されることがある
  • 占拠者が住み着いた後は、その建物は占拠者にとっての住居になる。だから所有者が無断で立ち入ると、今度は所有者の側が住居侵入罪に問われ得る

判例は住居性に継続性を要求せず、一時的な使用でも認めることがあります。荷物を持ち込んで寝起きを始めれば、早い段階でその建物は占拠者の住居と評価され得る。日数の問題ではなく、生活と支配の実態があるかどうかで、個別に決まります。

監視カメラに侵入の瞬間が映っていたら

立場はかなり変わります。侵入の映像は犯罪事実の直接証拠なので、「当事者間に争いがあるだけ」という外観が崩れ、民事不介入で断られにくくなります。相手が「所有者の許可を得た」と主張しても、無断侵入の映像は有力な反証になります(事前の口頭の承諾まで否定するものではありません)。

ただし注意点が2つ。

  • 録画だけでは現行犯逮捕にならない。現行犯逮捕は「現に罪を行い、又は現に罪を行い終わった者」が対象(刑訴法212条・213条)で、録画は過去の記録。住居侵入罪は継続犯とされるが、「いま犯罪が続いていて、この人が犯人だ」と現場で判断できるかは別の問題で、実務では慎重に扱われる
  • 逮捕されても占有は終わらない。身柄拘束だけでは占有は消えないと評価されやすく(民法203条参照)、釈放されれば戻ってくる。刑事手続は処罰のための制度であって、明渡しを実現する手段ではない

それでも録画には大きな意味があります。民事訴訟で相手の権原の不存在を立証する決定的証拠になること。刑事事件化が任意退去の交渉材料になること。そして相手の身元が判明すること。民事訴訟には相手方の特定が必要で、これができずに手続きが止まる例は実際にあります。

第8幕

この制度が、なぜこうなっているのか

ここまでの説明は、所有者にとって理不尽に見えます。実は、その理不尽さには歴史的な理由があります。

先にあったのは、追い出される側の被害

バブル期、地上げ屋による立ち退き強要が社会問題になりました。隣室に人を住まわせて生活環境を悪化させる、深夜の工事、街宣車、投石、放火。暴力団が深く関与し、住民が追い詰められた事例が報じられています。

日本法が占有と借家権を強く保護しているのは、この歴史が先にあったからです。戦後の住宅難、借家人の弱い立場、そしてバブル期の地上げ。制度は基本的に「追い出される側」を守る方向に作られてきました。1991年の暴力団対策法や、借地借家法が貸主側の解約に「正当事由」を求める仕組み(同法28条)も、この文脈で読めます。

その保護が、バブル崩壊後に逆用された

1990年代から2000年代初頭、競売物件に占有者を送り込み、競落人から立退料を取る占有屋が横行しました。手口はこの記事で扱った要素の裏返しです。

表5|占有屋の手口と、2003年改正による対応
悪用された仕組み手口改正後
短期賃貸借保護制度(旧民法395条)建物なら3年以内の賃貸借を偽装し、競落人に対抗制度を廃止。明渡猶予制度(6か月)に置き換え(施行前に設定された賃貸借には旧法が残る経過措置あり)
相手方の特定が必要執行の直前に占有者を入れ替え、空転させる債務者を特定しない占有移転禁止の仮処分を導入民保25条の2
引渡命令の効力範囲競売手続内の保全処分のあとに占有を承継させる一定の要件で効力が及ぶよう拡張民執83条の2
執行費用は申立人の立替え大量の荷物を置いて執行費用を膨らませる未解決。現在も所有者の負担
無資力者には請求が届かない高齢者や生活困窮者を名義上の占有者にする未解決。福祉との連携も制度化されていない

2003年の担保物権・民事執行法改正(施行は2004年4月1日)が転換点でした。これに暴力団排除条例と金融機関の反社チェック強化が重なり、組織的な占有屋は大幅に減ったとされています。

注目すべきは、この改正が金銭給付ではなく手続きの整備で対応したことです。補助金のような原資を作らず、妨害の採算を合わなくする方向。地味ですが、悪用の入口を増やさない点で理にかなっています。

残っている問題

組織的な妨害は競売市場から概ね退場しました。残ったのは、組織性のない個人の居座りです。金額は小さく、当事者も分散していて、政治的な圧力になりにくい。改正の優先順位が上がりにくい類型です。

ここには構造的な不均衡があります。住居を失った人の生活保障は、本来は生活保護法や生活困窮者自立支援法の領域です。行政が担うべき費用を、たまたま物件を持っていた個人が無補償で肩代わりしている。使えない期間の損失、訴訟費用、執行費用、残置物の処分費。請求権は成立するのに回収できません。

ただし、「公費で執行費用や立退料を補助すればいい」という単純な解決策には穴があります。所有者と占有者が通謀して立退料名目で補助金を引き出す、名義人に資力がないので返還を求められない、背後の指示者に責任が届かない──この記事で見てきた穴が、そのまま補助金詐取の穴になります。生活保護の住宅扶助を狙った貧困ビジネスが繰り返し摘発されているのと同じ構造です。

そう考えると、現実的な改善方向は手続きをさらに速く安くすることに絞られます。引渡命令の6か月制限の緩和、予納金の軽減、残置物処理の簡素化。いずれも占有者の保護そのものは削らずに、所有者の負担を下げられます(残置物の所有権や手続きの保障には別途配慮が要ります)。「保護を削れ」ではなく「手続きを速くしろ」という形の要求のほうが、筋が通っているし通りやすい。

実務編

買う前に、やっておくこと

ここからは佐倉が「先に知っておけばよかった」と思ったことのリストです。

三点セットの読み方

競売物件の情報は物件明細書・現況調査報告書・評価書の3点セットとして公開されます。BIT(不動産競売物件情報サイト)や執行裁判所で閲覧できます。

表6|三点セットで確認すべき欄
書類見るべき箇所何が分かるか
物件明細書買受人が負担することとなる他人の権利対抗力のある賃借権・法定地上権などの有無。ここに記載があれば引渡命令の対象外。ただし明細書は権利関係を確定する判決ではなく、記載がなくても争いは起こり得る
物件明細書売却により効力を失わない権利引き継ぐ負担の有無
現況調査報告書占有者・占有状況・執行官の所見誰が住んでいるか、いつから、どういう権原を主張しているか
現況調査報告書室内の写真・間取り荷物の量。執行補助者費用の見積もりに直結する
評価書占有減価・市場性修正占有リスクが価格にどう織り込まれているか

「応答なし」は空き家という意味ではない

執行官の現況調査は、限られた回数の訪問で行われます。「応答なし」「不在」の記載は、その時点で応答がなかったという事実を示すにすぎません。調査後に占有が始まることもあります。

買受希望者が自由に内覧できる制度もありません。内覧の実施を申し立てられるのは差押債権者です民執64条の2中を見ずに買うのが原則だと考えてください。

落札前チェックリスト

  • 三点セットの「買受人が負担することとなる他人の権利」欄を確認したか
  • 現況調査報告書の占有者欄と執行官の所見を読んだか
  • 室内写真から荷物の量を見積もり、執行補助者費用を余裕を持って(ファミリータイプなら60万円超も)計上したか
  • 資金計画に「代金+明渡費用+リフォーム+空室期間」を織り込んだか
  • 明渡猶予の対象者がいる可能性を検討したか(期限が9か月になる)
  • 執行手続に慣れた弁護士をあらかじめ確保したか
  • 代金納付から6か月の逆算スケジュールを作ったか
  • 物件が競売(民事執行法上の手続き)か、自治体の公有財産売却かを確認したか

公有財産売却の場合は引渡命令が使えない

自治体の公有財産売却など、民事執行法の枠外の入札では引渡命令は使えません。この場合は通常の明渡請求訴訟から強制執行というルートになります。売却条件書に占有者の有無や引渡条件がどう書かれているかで話がまったく変わるため、契約書類の確認が必須です。

落札後の行動順序

表7|代金納付後の標準的な進行
時期やることやってはいけないこと
納付直後現地確認(外観のみ)。占有者がいれば写真・日時を記録無断で室内に立ち入る
〜2週間占有移転禁止の仮処分を検討・申立て鍵交換、インフラ停止
〜1か月引渡命令を申し立てる。並行して任意交渉期限まで様子を見る
発令後執行文付与・送達証明を取得し、執行官に強制執行を申し立てる自分で荷物を運び出す
申立て〜2週明渡しの催告に立ち会い、断行の見積もりを取る──
〜さらに1か月断行。執行官の指示のもと搬出・鍵交換執行官の手続きを飛ばして処分する
並行して相手が生活に困窮していれば、自治体の福祉部門・生活困窮者自立支援窓口につなぐ──

最後の項目は建前ではありません。行き場がないから居座っているケースでは、行き先ができれば出ていきます。福祉部門が動けば、所有者が立退料や執行費用を負担するより安く、早く済むことがあります。任意退去に応じるなら引越費用を出したほうが結果的に安いケースも多い。

エピローグ

橋を渡るということ

── 11月、中野区

佐倉が鍵を受け取ったのは、代金を納付してから5か月後だった。

引渡命令の申立ては、弁護士に相談した週に出した。審尋書が送達され、相手方からの回答はなかった。発令まで3週間。強制執行の申立てから断行までさらに6週間。

断行の前に区の福祉窓口が動いていた。男は60代で、前の勤め先の寮を出てから2年、いくつかの空き家を移り住んでいたという。生活保護の申請が通り、支援団体が用意した住まいに移った。断行日、和室に残っていたのは段ボール3箱だけだった。

執行費用は締めて38万円。回収の見込みはない。

佐倉は縁側に座って、庭を見ていた。理不尽だとは思う。ただ、あのとき自分が勝手口から入って布団を引き剥がしていたら、今ごろ立場が逆になっていたことも分かっていた。

所有権は強い権利です。しかしそれは「自分で実現してよい権利」ではありません。日本法は、権利の実現を全面的に裁判所に集約する代わりに、競売の買受人には引渡命令という近道を用意しました。

この設計は、たまたま自分が正しい側にいる場面では理不尽に感じます。けれど同じ原則が、資力と組織を持つ側が実力で人を追い出すことも封じている。両刃の制度です。

競売物件を買うとき、本当に必要な準備は、占有者を追い出す方法を知っておくことではありません。橋がどこに架かっていて、いつ通行止めになるかを、買う前に把握しておくこと。それだけです。

本記事について|一般的な制度の解説であり、個別の案件に対する法律上の助言ではありません。費用や期間の数値は目安であり、裁判所・事案によって変動します。法令や運用は改正されることがあります。実際に競売への参加や明渡しを検討される場合は、執行手続に詳しい弁護士にご相談ください。

主な参照条文|民法180条・181条・198条・200条・395条・703条・704条・709条/民事執行法64条の2・83条・83条の2・131条/民事保全法25条の2/刑法130条

主な参照判例|最高裁昭和40年12月7日判決(民集19巻9号2101頁)