好きな曲って、ただ「メロディがいい」で終わるものもある。

でも、何年経っても聞きたくなる曲は、もう少し深いところで自分とつながっていることが多い。

the pillowsの「Funny Bunny」も、僕にとってはそういう曲だ。

この曲が好きなのは、元気が出るからとか、励ましてくれるからとか、そういう単純な話ではない。

いちばん大きいのは、傷ついたり迷ったりしながらでも、自分で自分の人生を選んでここまで来たという感覚がちゃんと残っているところだと思う。

そこがすごく好きだ。

だからこの記事は、曲レビューでもなければ、歌詞の意味を一つに決める記事でもない。

なぜ僕が「Funny Bunny」にここまで惹かれるのかを通して、自分がどんな生き方を肯定したいのかを整理する記事として書いている。

まず結論|僕がこの曲を好きなのは「傷ついても、自分で選んでここまで来た人生」が肯定されているから

僕がこの曲でいちばん価値を感じているのは、うまくいかなかったことや、孤独や、しんどさを消していないところだ。

でも同時に、それをただの不幸として置いて終わらない
そこにあるのは、「それでも自分で選んで歩いてきた人生なんだ」という感覚だと思う。

誰かに決められたわけでもなく、完璧な正解を渡されたわけでもなく、自分で選んで、失敗も含めてここまで来た。

その事実を軽くしない。
そこがかなり好きだ。

この曲は、過去を綺麗に美化するわけでも、全部正しかったと言い張るわけでもない。
それでも、自分で選んできた人生そのものを、安くしないで残している

そこに惹かれているんだと思う。

この曲がいいのは、安い励ましに逃げていないから

しんどい時に刺さる曲は多いけど、その中には「大丈夫」「前を向け」「きっとうまくいく」と、少し簡単にまとめすぎる曲もある。
もちろんそういう曲に救われることもあると思う。

でも「Funny Bunny」は、そういう雑な励まし方ではない。

痛みや噛み合わなさを、なかったことにしない。
もっと頑張れとか、正しい道に戻れとか、そういう押し付けもしない。

そこがいい。

僕は、苦しさを消して丸くするものより、苦しさがある前提でも雑に扱わないものの方を信用しやすい。
この曲には、その肌触りがある。

サビが刺さるのは「被害者のままで終わらない」からだと思う

僕がいちばん好きなのがサビなのも、かなり理由がはっきりしている。
そこにあるのは、「誰かに傷つけられた」「環境が悪かった」「運が悪かった」で終わる感じじゃない。

もちろん、人生にはどうしようもないこともある。
傷つくこともあるし、選びたくなかったことまで背負わされることもある。

でもそれでも最後に残るのは、自分で選んでここまで来たという感覚なんだと思う。

ここがかなり大きい。
この感覚があると、人生が全部きれいになるわけではない。

失敗が成功に変わるわけでもない。
でも、自分の人生を自分のものとして持てる。
僕はそこにすごく価値を感じる。

ただ傷ついた人として扱われるより、傷つきながらでも選んできた人として扱われる方が、ずっといい。

この曲には、それがある。

ここが好きなのは、正しかったかどうかより「自分で選んだこと」の方を重く見ているから

この曲に反応するのは、たぶん僕が人生を見る時の基準ともつながっている。

僕は、何を選んだかを考える時に、「それが最善だったか」だけで判断したくない。
もっと現実的に見ている。

迷いながらでも、自分で決めたか。
他人の正解に流されるだけで終わっていないか。
失敗したとしても、自分の足でそこまで来たと言えるか。

このへんをかなり重く見ていると思う。

だから「Funny Bunny」のサビにある感覚が刺さる。
完璧な人生の肯定じゃない。成功者の歌でもない。

でも、自分で選んできた人生なら、それだけで雑にされる筋合いはないという感じがある。

そこがかなり好きだ。

自分の弱さや面倒さを消して綺麗に見せるより、まず観測して、その上で持っていく方が合っている感覚は、こっちの記事でも書いている。

自分を嫌いにならない理由

でもこの曲は、自己責任の歌みたいにはなっていない

ここも大事だと思う。

「自分で選んだ人生」と聞くと、人によっては、全部自己責任で引き受けろ、みたいな冷たさを感じるかもしれない。

でも僕は、この曲をそういうふうには聴いていない。
なぜなら、この曲は痛みを消していないからだ。

選んだから偉い、選んだから文句を言うな、みたいな話ではない。
傷はあるし、しんどさもあるし、孤独もある。

その現実はちゃんと残したまま、それでも「ここまで来た事実」を軽くしない。

ここがこの曲の強みだと思う。

つまりこの曲は、冷たい自己責任論じゃなくて、傷を抱えたままでも、自分の人生を自分のものとして抱えていく感覚に近いんだと思う。

希望が「全部うまくいく未来」ではなく「それでも続けていい」にある

この曲の希望は、派手な逆転や劇的な成功じゃない。
明日から全部変わるとか、努力が必ず報われるとか、そういう分かりやすい話でもない。

もっと地味だし、もっと現実に近い。

それでもまだ続けていい。
それでもまだ、自分の人生として持っていていい。

希望の置き場所がそこにある。
僕はこの感じがかなり好きだ。

大きな正解を与えられるより、今の自分のままでも、まだ切らなくていいと言われる方が、ずっと深く残ることがあるからだ。

この曲が刺さる人は、たぶん「うまく生きたこと」より「自分で選んだこと」に価値を感じている

この曲が刺さる人は、たぶん世間的にきれいな人生だけを求めていない。
失敗しないこととか、最短で正解に着くこととか、誰から見ても分かりやすく成功することだけを大事にしていないと思う。

それよりも、自分で選んだかどうかを重く見ているはずだ。

遠回りでも、少し不器用でも、自分で決めてここまで来たなら、その人生にはちゃんと重みがある。
そういう感覚を持っている人ほど、この曲には反応しやすいと思う。

特に、傷ついた経験を消したくない人、失敗も含めて自分の人生だと思いたい人にはかなり刺さるはずだ。

僕もたぶん、そこにかなり反応している。

好きな曲を掘ると、自分がどんな人生を肯定したいのかが見えてくる

この曲を考えていて改めて思うのは、好きな曲の話はそのまま価値観の話になるということだ。

僕が「Funny Bunny」に惹かれるのは、傷や孤独を消していないからでもあるし、それでも自分で選んでここまで来た人生を軽くしていないからでもある。

それはそのまま、普段の自分の基準にもつながっている。

誰かの正解を借りて整った人生より、自分で引き受けてきた人生の方を信用したい。
きれいに説明できなくても、自分で選んできた事実を大事にしたい。

好きな曲で価値観が見えるのは、こういうところだと思う。

この見方自体を先に整理した記事はこっちにまとめている。

好きな曲で自分の価値観が分かる|歌詞の好みは生き方の好みとつながっている

このシリーズの他の記事

好きな曲を掘ると、その人がどんな人生を肯定したいのかだけじゃなく、どんな関係を素敵だと思っているか、どんな触れ方なら壊れずに済むと思っているかもかなり出る。

自分で選んでここまで来た人生の話から、日常の中で笑顔を積み上げていく関係の話へつなげて読むなら、こっちが自然だと思う。

星野源「くだらないの中に」が好きな理由|日常の笑顔を希望として積み上げる関係

人生の肯定からもう少し対人の触れ方に寄せて、相手を動かさずに満足が成立する愛情の話を読むなら、こっちもかなりつながる。

米津玄師「眼福」が好きな理由|押し付けない愛情に惹かれる理由

まとめ|僕が「Funny Bunny」を好きなのは、自分で選んでここまで来た人生を肯定してくれるから

the pillowsの「Funny Bunny」が好きなのは、単に励まされるからでも、前向きになれるからでもない。

僕が惹かれているのは、もっと深いところだ。

  • 傷や孤独をなかったことにしないこと
  • 安い励ましや綺麗ごとに逃げていないこと
  • 自分で選んでここまで来た人生を軽くしていないこと
  • 被害者のままで終わらず、自分の人生を自分のものとして持ち直せること
  • 希望を「全部うまくいく未来」ではなく「それでも続けていい」ところに置いていること

たぶん僕は、正しかった人生より、自分で選んだ人生の方を重く見ている。
うまくやれたかどうかより、どれだけ自分の足でそこまで来たかの方に価値を感じる。

「Funny Bunny」は、そこをかなりちゃんと残している。

だから好きなんだと思う。