応援歌と呼ばれる曲はたくさんある。
前向きになろうとか、信じれば報われるとか、頑張れば道は開けるとか、そういう言い方で背中を押す曲も多い。
もちろん、そういう曲に助けられる時もあると思う。
でもBUMP OF CHICKENの「才悩人応援歌」は、そういう分かりやすい励まし方とは少し違う。
この曲が好きなのは、きれいに元気づけてくれるからじゃない。
応援されることが逆に苦しくなる瞬間や、才能の有無を前にして気持ちがねじれる感じを、なかったことにしていないところがかなり好きなんだと思う。
この記事は、曲レビューでもなければ、歌詞の意味を一つに決める記事でもない。
なぜ僕が「才悩人応援歌」に惹かれるのかを通して、前向きになれない時に何を信用しているのかを整理する記事として書いている。
まず結論|僕がこの曲を好きなのは、応援が苦しい時の本音まで切り捨てていないから
僕がこの曲でいちばんいいと思っているのは、「応援」を無条件にいいものとして置いていないことだ。
励まされて元気が出る時もある。でも、しんどい時はそれすら重く感じることがある。
頑張れと言われるほど苦しくなる時もあるし、才能がある人の話を聞くほど、自分の足りなさを突きつけられる時もある。
この曲は、その面倒な部分をちゃんと残している。
前を向けない自分、素直に受け取れない自分、ひねくれた気持ちになる自分を、すぐ切っていかない。
そこがかなり好きだ。
前向きになれない時の本音まで含めて、それでもまだここにいていいという感じがあるから、この曲が残るんだと思う。
この曲がいいのは、励ましをそのまま正義にしていないから
応援って、きれいに言えば善意だと思う。
でも実際には、受け取る側の状態によってはかなり重かったりする。
今の自分では届かない場所を見せつけられているように感じる時もあるし、できていない自分を逆に意識してしまう時もある。
「才悩人応援歌」は、そのねじれを分かってくれている。
励ましのきれいな面だけで進まない。
だから信用できる。
僕は、善意だからそれでいい、応援なんだから受け取るべき、みたいな雑な整理があまり好きじゃない。
大事なのは正しさより、その言葉や視線が今の相手にどう当たるかだと思っている。
この曲は、そこを飛ばしていない。
才能の話が入っているのも大きい
この曲のいいところは、気分の問題だけで終わっていないところだと思う。
前向きになれないのは、心が弱いからだけじゃない。
もっと現実的に、自分には才能がないかもしれないとか、あの人みたいにはできないとか、そういう比較の痛みがある。
しかもこれは、少し頑張って気持ちを切り替えれば消える種類のものじゃない。
現実の差として見えてしまうからこそ、しんどい。
「才悩人応援歌」は、その痛みを甘く処理していない。
努力すれば全員同じ場所に行ける、みたいな言い方に逃げていない。
ここがかなり大きい。
僕は、できない側の痛みを、すぐ希望の話に置き換えるものより、差があることを分かった上で、それでもどうするかを残すものの方を信用しやすい。
好きなのは「前向きになれること」じゃなく「前向きになれないまま残れること」だ
この曲を好きだと言うと、励まされたい人みたいに見えるかもしれない。
でも僕が反応しているのはそこじゃない。
好きなのは、きれいに立ち直れることではなく、立ち直れない瞬間の自分まで切り捨てられていないことだ。
ひがみっぽさとか、劣等感とか、素直に喜べない感じとか、そういうものは本当はあまり見せたくない。
でも現実には出る。
この曲は、その出てしまうものを「そんなのはだめだから直そう」で終わらせない。
ここがいい。
僕は、自分の中の面倒な感情そのものより、そういう感情を持った時の扱い方の方を重く見ている。
この曲もまさにそこをやっている気がする。
それでもこの曲が暗すぎないのは、やめる側ではなく残る側にいるからだと思う
ここもかなり好きなところだ。
この曲は、応援のきれいごとに乗らない。でも、だからといって全部どうでもいいとも言わない。
世界なんて終わりだ、と投げて終わる感じでもない。
むしろ逆で、ぐちゃぐちゃしたまま、それでもまだ残る側にいる。
続ける理由が完璧にあるわけじゃない。自信が回復したわけでもない。未来が急に明るく見えたわけでもない。
それでも、やめるとまでは言わない。その位置にいる。
僕はこの感じがかなり好きだ。
希望が強すぎない。絶望にも切り切らない。その中途半端さが現実に近いからだ。
Funny Bunny が「自分で選んでここまで来た人生」なら、才悩人応援歌は「それでも今、まだ諦めない」だと思う
この曲を考えていると、同じシリーズで書いた「Funny Bunny」とも少しつながる。
ただ、見ている場所は違う。
「Funny Bunny」で僕が強く反応したのは、自分で選んでここまで来た人生を軽くしない感覚だった。
でも「才悩人応援歌」は、もう少し現在に近い。
まだ途中で、まだ迷っていて、才能の差も見えていて、応援すら痛い時がある。それでも今まだ諦めていない。
こっちの感覚だと思う。
つまりこれは、人生全体の肯定というより、しんどい現在の中でも、まだやめていない自分を残しておく歌として響いているんだと思う。
自分で選んでここまで来た人生の重みの方を先に読みたいなら、こっちの記事もかなり近い。
the pillows「Funny Bunny」が好きな理由|自分で選んでここまで来た人生を肯定してくれる
この曲が刺さるのは、僕が「正しい言葉」より「本音を残した言葉」を信用しているからだと思う
この曲に反応するのは、たぶん僕の基準ともかなりつながっている。
僕は、正しいことを言っているかどうかだけでは、あまり安心できない。
むしろ、その言葉の中に本音が残っているかを見ていることが多い。
きれいに整った励ましより、少しねじれていても本当のしんどさが残っている方を信用する。
前向きな結論だけより、そこに行けない自分の感覚まで残してある方を信用する。
「才悩人応援歌」は、その意味でかなり本音が残っている曲だと思う。
だから好きなんだと思う。
面倒な感情を消して整えるより、まず観測して持つ方が合っている感覚は、こっちの記事でもかなり近い話をしている。
この曲が刺さる人は、たぶん「励まされたい人」じゃなく「雑に励まされたくない人」だと思う
この曲が刺さる人は、たぶん単純に元気を出したい人ではないと思う。
もちろん元気は出た方がいい。でも、それ以上に大事なのは、しんどさを雑に処理されたくないことなんだと思う。
才能の差を見てしまう痛みも、応援が重くなる瞬間も、前向きになれない自分へのいら立ちも、全部まとめて「大丈夫」で流されたくない。
そういう人ほど、この曲には反応しやすいはずだ。
特に、褒められても素直に受け取りきれない人、励まされると逆に苦しくなる時がある人、前向きの形に自分を無理やり合わせたくない人にはかなり刺さると思う。
僕もたぶん、そこにかなり反応している。
好きな曲を掘ると、自分がどんな言葉ならまだ受け取れるかが見えてくる
この曲を考えていて改めて思うのは、好きな曲の話はそのまま価値観の話になるということだ。
僕が「才悩人応援歌」に惹かれるのは、応援をきれいなものとしてだけ扱っていないからでもあるし、才能や劣等感の話から逃げていないからでもある。
それはそのまま、普段の自分の基準にもつながっている。
きれいな言葉より、本音が残った言葉の方を信用したい。前向きな正解より、しんどさを分かった上で残る方を信用したい。
好きな曲で価値観が見えるのは、こういうところだと思う。
この見方自体を先に整理した記事はこっちにまとめている。
好きな曲で自分の価値観が分かる|歌詞の好みは生き方の好みとつながっている
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まとめ|僕が「才悩人応援歌」を好きなのは、応援が苦しい時の本音まで隠していないから
BUMP OF CHICKENの「才悩人応援歌」が好きなのは、単に励ましてくれるからでも、前向きになれるからでもない。
僕が惹かれているのは、もっと具体的なところだ。
- 応援が重くなる瞬間を、きれいに消していないこと
- 才能の差や劣等感の痛みから逃げていないこと
- 前向きになれない自分まで切り捨てていないこと
- 正しい励ましより、本音の残った言葉を選んでいること
- 絶望に切らず、それでもまだ残る側にいること
たぶん僕は、元気が出る言葉そのものより、しんどい時でもまだ受け取れる言葉の方を重く見ている。
きれいに励まされることより、本音を切られずに残してもらえることの方に価値を感じる。
「才悩人応援歌」は、そこをかなりちゃんと残している。
だから好きなんだと思う。
